都立 M高校生徒の心に届け、一枚のビラ ★

                                              2004.10.4

 春に高校門前でビラ撒きをしたのが“春の陣”とするならば、、高校のPTA総会で発言後、校内の保護者仲間ができたのが“夏の陣”、そして今回、二期制の始業式でビラ撒きをしたのが“秋の陣”でしょうか。 ザンザンと雨の降る冷たい朝でした。

 M高校は昨年から三学期制をやめて二学期制になっています。夏休みをはさんで9月末までが一学期、その後が二学期ということで、10月4日は二学期の始業式です。

 9月末の終業式は体育館で行なわれたのですが、10月の始業式は郊外の施設である多摩市のパルテノン多摩大ホールで開催されるというお便りがきました。式の後で、講演者を招いて1時間ほどの講演が予定されているので、保護者もどうぞと声がかかりました。そのお便りを見たとき思わずニンマリした私を御想像ください。こんなチャンスはありません。公道で誰にも邪魔されず、こちらに向かって歩いてくる子どもたちにビラを配ることができる、絶好の機会到来!
 
 早速 春に手伝ってくれた仲間+友人+M校の保護者仲間 に声をかけ、ビラの準備等々をはじめました。当日は前日から降り続けていた雨が衰えを知らず、私の気分を落ち込ませてくれましたが、刷ったビラと手伝ってくれる仲間の誠意を無駄にはしないぞ、と自分を励まして、現地へと出かけていきました。
 式は9時30分からということで、生徒はこの時間までに会場に入ること、保護者は9時50分までに・・・でしたので、街宣の時間は8時50分から9時50分の1時間と決めました。
 
 多摩センター駅からまっすぐの道の行き止まりに大きくそびえているのがパルテノン多摩です。その前にトラメガを持った私、《日の丸・君が代は天皇の旗・歌》と《戦争放棄》の横断幕二枚、そして、ビラを抱えた20人の仲間たちが並ぶと、まるで関所です。ビラを受け取らずに通り過ぎるのは至難の業(?)だったかもしれません。それでも、無視して通過する子はたくさんいました。でも、傘をさし荷物を持っていてもビラを受け取ってくれる子はもっとたくさんいました。
 
 ある子が歩いてくる友人たちに『ビラを受け取るな』と言っていたので、仲間の1人が『どうして?』と訊いたところ、『自分はまだ幼くてなにもわからないときに教師から嘘を教わって反日的考えを押し付けられた』と言うのです。『どんな嘘?』と訊くと『南京大虐殺はあったことは認めるけど、当時の市民は20万人だったのに30万人殺したと言った』・・・・というようなやり取りが続き、どうやら彼の周囲にいる大人の思想が影響しているようでした。『このビラは、あなたの考え方を広げる意味で重要な情報源だから読んでみてまた考えて欲しい』と言ったのですが、頑なに受け取らなかったということでした。でも、こういう子は脈があると思われます。方向は違うかもしれないけれど、自分で考え、私たちに反論を試みようとしてきたからです。

 私以外にトラメガで訴えたのは、元教師の仲間とT大の学生さんでした。
元教師の仲間は、『日の丸・君が代に反対しているのではない、“強制”に反対しているのです。このままいくと、あなたたちやその恋人が戦争に行くことになる』と訴えます。T大の学生さんは『ぼく達若者、とりわけこの時代に高校生として、自分の問題としてきちんと考えていかなければならないんじゃないか』ということを語りかけます。
私は『M高校の三年生に子どもがいる保護者です。あなたたちの人権が脅かされることに危惧をもって、このビラをつくり配っています。』と、あくまで保護者を強調しました。

 T大の学生さん以外は仲間の殆どがわたしと同年齢かそれ以上です。たとえ、ビラを受け取らずに行っても、街宣の声は聞こえたはずです。親の世代のおじさん、おばさんがこんな雨の中で何を訴えているのか、少しでも聴いてくれれば必ず何かを考えてくれると信じてやりました。

 つくったビラは500枚、手元に残ったのは150枚・・・・350枚も受け取ってくれたのは、大成功でした。
ビデオジャーナリストの馬場さんがレンズを拭き拭き、一部始終をカメラに収めてくれました。ビラを濡らさないように気を使いながら懸命に渡そうとしている仲間の真剣な姿を観て、改めて感謝の気持ちとやってよかったとの思いが残りました。

 来春までにまた何か、やりたいです。沖縄辺野古の闘いでどなたかが言われた、『一発花火ではなく、蚊取り線香のように地味だが蚊をやっつけるまで粘り強く続ける闘い』を、この東京でも市民の力でやっていきましょう。

               “冬の陣” なにしようかなぁ〜〜!