【 根津公子という教師】2004.8.1加筆・改訂 

 ある中学校の先生の話です。

八王子にこの教師ありと言われている、知る人ぞ知る人権派教師です。
昨今の教育行政にはトコトン嫌われています。

しかし、生徒には絶大なる信用を有し、またその保護者たちにも大いなる信頼を寄せられている人なのです。
 

 日の丸・君が代が堂々と強制され、教育基本法が改正されようとしている現在、"物言えば首が飛ぶなり先生は"の状況の中、自らの信念を持って一歩も揺るがず闘い抜いている先生なのです。
 

 見た目は優しく穏やかで繊細そうにみえるのですが、中身には太い芯が通っていて、周りをやわらかなスポンジが覆っている、そんな人物です。
 
 最初に彼女を知ったのは、「週刊金曜日」の誌面上でした。私の住む八王子市立中学校の家庭科の教師がすごいことやってる、という印象を受けました。
 その彼女の教師としての闘い、人間としての闘いを追った記録を読んでいただこうと思います。

 2001年〜2004年まで、草の実会の会誌に連載してきた中から、まとめてみました。いま、読んでみても、決して古い昔の闘いではないと思います。むしろ今、自分の進むべき方向が定まらない悩める教師の方々には、参考になるのではないかと思います。

    石川中裁判、始まる   草の実会誌 NO.458 掲載 〔'01.07〕
 

 いま、中学校の周辺は静かです。国立の小学校を街宣車が大音量で取り囲んでいた3月〜4月の頃にくらべたら、不気味な静寂につつまれています。日の丸・君が代は100%実施され、もう争いは終結したかのよう。しかし、一歩中に踏み込んでみれば・・・・。

 

《石川中裁判》
 

 2001年4月12日、東京地裁八王子支部の401法廷は、60名を越す傍聴人であふれました。この日の原告は根津公子教諭(中学校家庭科教師)、被告は八王子市教育委員会。「石川中裁判」 と呼ばれる裁判の初公判が開かれていたのです。
 原告根津さんの魂を凝縮した冒頭陳述が終わると同時に、傍聴席から大きな拍手が湧き上がりました。決して負けることのできない闘いの一歩が踏み出されたことを実感した一瞬でした。この裁判に至る経緯がよくわかり、原告の人となりとその思いを言葉の端々に見ることができるので、少々長くなりますが、冒頭陳述書を全文掲載いたします。

 《陳述書》
 

 私は八王子市石川中学校に在職中の1999年2月に行った授業と授業に使ったプリントが「不適切」として訓告処分を受けました。裁判を始めるにあたり、この授業をしようとした私の気持ちを述べたいと思います。
 

 わたしはこの子どもたちの学年を3年間担当していましたので、子どもたちとは授業での付き合いだけではなく、学年を単位とした取り組みや清掃活動、休み時間での触れ合いなど、日常的な付き合いがありました。その子どもたちが卒業期を迎え私は、最後の授業では何かメッセージを伝えようと考えました。私が子どもたちとの付き合いの中で大事にしてきたこと、訴えてきたこと、そしてこれからの人生の中で彼らに大事にしてほしいことは何かを考えた時、それが「自分の頭で考え判断し行動する」ということでした。
 

 この授業は、学年教員集団で行ってきた教育活動から見ても、家庭科の授業および道徳の授業としても適切だったと確信します。また、「自分の頭で考える」ということは、私が教員になったときから最も大事にしてきたことでした。この点についてまず、述べたいと思います。
 

 中学校では教員の担当学年を決める際、単年度の決め方ではありますが、一般的に一年生で担当すると、子どもたちの進級と共に教員もついていきます。三年間を一巡すると次もまた、そうなります。ですから、何年もかけて論議をし、また結果をみながら、改善・改革することが可能です。私たちの学年教員集団は、どういう子どもたちを育てていくか、そのためには具体的に何をするか、かなり徹底的な論議を経て教育活動にあたってきました。
 

 その中で、「自ら考え行動できる生徒」を目標に掲げ、「学級活動や学年活動、生徒会活動に自分たちの声を出そう、討議・決定し、実現させよう」 と 子どもたちに呼びかけました。そして教員はそれが実現できるよう、態勢作りに力を入れました。入学時から教員側がこのような姿勢で子どもたちに接していきますと、子どもたちは初めは戸惑いながらも、自らの力で学校生活をつくっていこうとします。三年生に進級する頃には、子どもたちで立案から実行までを、その面白さを味わいながら、教員を感心させるほどの力で行っていきます。
 

 なお、自ら考え行動する時には、多方面からの知識や情報が必要となってきます。その資料となるよう、教員集団は、生きる上で大事であるにもかかわらず、現実の中学校教育の中であまり触れられていないことがらについて、学級活動や道徳、学年行事の中で取り上げてきました。広島への修学旅行、男女平等、性など、平和と人権、反差別の問題がそれに該当しますが、これらについては担当者を決め、系統的に学習をすすめてきました。
 

 また、三年生三学期の家庭科の授業内容は、長い間男女別学だった家庭科が共学に変わった経緯を踏まえ「男女共学社会に向けて」 を扱いました。女性差別を差別だと多くの人が認識していなかった少し昔と今を比べ考えていく中で、子どもたちは「常識が差別につながる場合もある」ということにも考えが及びました。自分で考えることの大切さは、三学期の家庭科の授業の中からも必然的に出てきた答えでした。また、この授業は道徳の内容でもあり、その道徳は、「あらゆる教科、領域で行うこと」、と学習指導要領に明記されています。
 

 そもそも、中学校学習指導要領総則には、「自ら学び自ら考える力の育成を図る」 と謳っていますし、石川中の教育目標にも「考える子」を謳っています。ですから、問題とされたこの授業は、子どもたちにとってはごく自然な内容でしたし、文部省(当時)の方針にも合致したものであったわけです。

 次に、教員としての私の姿勢について述べます。
 私は30年近くに及ぶ教員生活の中で、試行錯誤をしながら、前述の学年のこの方針が正しいことを体得してきました。
 世の中には邪悪な事件が報道されない日はないという程に起きています。起こすのが個人であったり組織の人間であったりしますが、そうした行為に走る人たちに共通しているのは、他者の犠牲よりも自己の利益を優先し、そこに心の痛みを感じない人たちであるということです。学歴の高いエリート層に位置する人たちが組織の中の個人として、あるいは組織的に悪事をはたらく事件を聞くたびに、私は社会や学校のあり方を根本から変革しなければ真の解決にはつながらない、と思うのです。とりわけ、教育を問い直すことが肝心だと思います。犯罪をしてしまったこの人たちに、もしも、強固な人権思想があったなら、周りに流されずに自分の頭で考えるという習慣があったら、また、学校教育でこれらのことを徹底していたら、こうした犯罪は半減する、そして社会はよくなる、と私は思います。
 

 人権思想、自分の頭で考えること。私はこのことを基本に置き、これから申し上げる三つのことを心に留めて教育活動に当たってきました。
 

 その第一は、子どもの声に耳を傾けることです。たくさんの声の中には身勝手と思える要求もあります。でも、その時、子どもが理由を理解することなく、教員が権力的に禁止しては、子どもには暴力としか映りませんし、学習にもなりません。どんな声をもまずは聴く。そして最後まで話し合って解決する。その姿勢を私は持ち続けようとしてきました。大人が自分の話を聞き、考えてくれている―――そのことを実感することから子どもは、自らもそうしようとし、考えることの大切さを知っていくのですから。
 

 二つ目は、子どもたちの考える資料となるよう、事実を提示することです。教科書に書かれ、多くの人が常識とすることについては、子どもも自然のうちに知り得ますが、教科書では簡単にしか触れられていないことやマイノリティの人権に関することなどは知る機会は自然には訪れません。私は、自ら知ろうとする気持ちを育てることやその前提としての事実の提示は、教員の仕事であると思います。
 子どもが、社会的に弱い立場に置かれた人たちを痛めつける事件がそれほど珍しいことではなく起きていますが、「今の子どもは・・・」 と嘆くのではなく、それは、学校教育が、教員が弱者の人権について考える資料を、子どもたちに提示してこなかった結果だということを真摯に受け止めなくてはいけないと思います。いじめについても同じことが言えます。
 

 三つ目。日本の教育は、「考える力の育成」 を掲げています。しかし、実際には、教員の指示通りに子どもが動くことをよしとしてきたことからなかなか脱却できずに、いわゆる「指示待ち人間」 を育ててきてしまいました。わたしは、そうならないように気をつけてきました。私は、子どもたちが知り得た事実から、自らの課題を見つけ、行動するよう、教員はその助けをする側に回るべきだと思い、そのことを子どもたちに伝え、促してきました。子どもたちは自ら行動していいのだということを知ると、行動します。冒頭申し述べました石川中の子どもたちの日常はその証左でありましょう。
 

 私は、以上のことを心にとめて子どもたちが今を、そして将来にわたって自らの意思で主体的に生きていけるよう、教育活動にあたってきました。
 
 さて、私はいま申し述べました気持ちから、地下鉄サリン実行犯の一人が証言したことば、「上からの指示は自分で判断するべきではない、無条件に従うもの、という思考が徹底していた」 「指示を実行することで、頭がいっぱい」 で「被害者のことなど考える余裕がない」をもとに、「自分の頭で考えよう」と授業をしたのです。
 

 私はこの証言を使い、「こうした思考は、特殊なオウムの集団にしか起きないことだろうか、程度の差はあれ私たちの日常にこのような思考・精神状態は潜んでいないだろうか。」 「あなたたちは、それがよいことか悪いことかを考えずにこの新聞記事のように指示や命令に従ってしまった経験はないだろうか」と問いかけました。すると、子どもたちは、部活の上下関係の中で起きたいやだったこと、納得のいかなかったことなど、身近な例を挙げて論じました。そして、立ち止まって考えることなく、指示や命令に従ってしまうことが多い現実を振り返りました。
 

 私は、「私も学校で、社会で判断を迫られることがある。その時、私はこれはいいことか、悪いことかを一つ一つ考えることにしている、そうすることは私にも大変なこと、時には勇気やある決意が必要になってくることもある。でも、自分の頭でよく考えて、おかしいとおもったらやらない、また、周りにも止めるようにはたらきかけることにしている。正しいと思ったことだったら、一人でも行動しなければと思っている」 と述べ、また、「あなたたちにも、世の中や集団の流れに身を任せるのではなく、こう行動することがいいかどうかを考えて生きていってほしい。一人ひとりがそのように行動していったら、平等で平和な社会になるのではないかと思う」 と話をしました。
 

 私はこの授業で、上意下達の構造の中に組み込まれ、考えることを放棄してしまったり、上からの命令には従わざるを得ないとして自らの責任を問わずにしてしまう、しかし人権・人命無視にまで行ってしまいかねない行為について問い、自らの頭で考え判断することの大切さを訴えたのです。
 

 上意下達の構造の中で考えることをしなかった例として私は、薬害エイズの問題や「日の丸・君が代」 を巡る教育委員会・校長の関係などをあげたのですが、そのことに対し、八王子市教育委員会の和田参事は次のように言いました。「薬害エイズのことは考えさせていい。」 しかるに、「 国旗・国歌は学習指導要領に明記されている。考えましょう、と生徒に呼びかけるのは受け入れられない」 「 国旗・国歌は、意義を教えるために一つのもの(=価値観)を押し付けることが必要だ」 と。彼のこの発言からは、教育の視点が完全に欠落しています。私は、八王子市の教育行政の実質、トップに立つ人のこの姿勢をとても恐ろしく思います。
 

 教育として国旗・国歌の意義を教えたいのでしたら、国家にとって都合の悪いことを隠すのではなく、よいことも悪いこともすべて子どもたちに提示し、彼らの批判力を育てながら、意義に迫っていくべきだと思います。
 

 繰り返しになりますが、私は自分の頭で考え判断することは、人間が人間として生きていこうとする時に必要不可欠のことであり、教育の基本的課題であると思います。そして、個人が幸せに、社会が平和になる道だと思い、卒業する子どもたちにメッセージとして贈ったのです。これを私は、正当な教育活動だったと思っています。
 その授業に対して、訓告処分を受け、私は教員として不適格の烙印を押されたような気持ちです。今日から始まった裁判でどうぞ、私の精神的苦痛を取り除いていただきたいと思います。
                                2001年4月12日   根津公子

 

 陳述書からもわかるように、彼女は文部省(当時)の方針に添って子どもたちの指導にあたったのですが、処分を受けてしまいました。(この裁判は処分撤回要求ではなく、名誉回復、損害賠償のための行動です。)この訓告処分が出た後、石川中に起こった波紋は・・・・・。

  石川中学校での出来事   草の実会誌 NO.459 掲載 〔'01.07〕


 いま、中学校は待ちに待った夏休みです。我が家の子どもたちは休みに入ると、登校している時と違って2,3歳幼くなったような穏やかな表情になります。中学生とはいえ、過酷な社会生活を営んでいるのだなあと、痛ましく思うこの頃です。
 

  八王子市の教員だった(その後、多摩中、調布中と異動し、2004.6月現在は立川2中勤務)根津公子さんの裁判は、「 自分の頭で考え判断し行動する」という事を念頭に、@子どもの声に耳を傾ける、A子どもが考える資料になるよう事実を提示する、B指示待ち人間にならないよう指導する、の3点を心に留めて教育活動を行ってきた根津教諭に下された不当な処分に対する名誉回復、損害賠償請求の闘いです。 
 

 授業内容についての判例では、事実に誤りがない限り最大限教師の自由裁量を認めているので、都教育委員会は処分をしませんでした。しかし、八王子教育委員会(以下、八教委)は、その線を飛び越えて処分に動き、その後も授業の監視をしたり、高圧的な職務命令を出してきました。その内容は、
   
     職務命令                  平成11年10月4日
 平成11年8月30日付けの処分にかかわって、今後の職務の遂行において、以下の三点の順守を命じます。
1、 自作プリントはすべて、少なくとも使用の二日前までには校長に見せて許可をえること。
2、 家庭科の指導内容が把握できる年間指導計画と単元毎の指導計画を提出すること。
3、 学級指導における指導内容が把握できる指導計画を提出すること。
尚、右記(現物は縦書きです)1、〜 3、にかかわって随時、授業(学活・道徳を含む)を参観させてもらいます。
                                                以上

《家庭科のテスト》
 

 命令の出された次の日は、家庭科のテストが実施される予定の日でした。でも、前述の職務命令の"1"に抵触するので、テストを行なうことができません。当日の朝の職員打ち合わせでは、「生徒を第一に考え、家庭科のテストを実施する。そのため職務命令の凍結を」 との発言が続いたものの、校長は譲らず。教室で待機中の生徒たちには、とりあえず他教科のテストを実施し、後で話し合う事にしました。しかし、再三の話し合いの場でも校長は頑なな態度を崩さず、結局家庭科のテスト実施日変更の通知を出すに至ったのです。しかも校長が生徒たちに説明した内容は、「 テスト内容のチェックを、根津先生が終えていなかったから」 というものでした。帰り際に子どもたちから「 根津先生、テスト問題できてないの?」 と問いかけられた彼女は校長に抗議し改めて説明する旨確認しました。

《授業参観という名の監視》
 

 命令が下されて三日後、さっそく授業参観という名の監視活動が始まりました。最初は教頭がのぞきに来て入り口あたりで立ち止まり、授業のじゃまになるので根津先生が「後方で、しっかり参観して下さい」と言ったら、1,2分で出ていってしまったとの事。「何しに来たんだろ?」と子どもたちの何人かがつぶやきます。
 一年生の教室では校長や教頭がやってくると、普段活発に発言する生徒たちが小声になったり黙ってしまったり、萎縮してしまう様子がみられました。他クラス間での情報のやりとりがあるのは当然で、子どもたちにも「異常」な事態が発生している事がわかってきたようです。

 

《子どもたちの素朴な疑問》
 

 三年生の教室。「校長が監視に来たゾ!」生徒の声で教室内がざわめき、入ってきた校長に対する質問が飛び交いました。「 わかるように説明して下さい。」 「なぜ話してくれないんですか?」 等々。答えをしぶっていた校長でしたが、授業が進められない状態になった事に気づいたのか、やっと応答開始。
「 テストが遅れたのは根津先生のチェックが終わっていなかったから。学校が出すプリント類は校長の目を通すことになっている。授業参観は、根津先生が観に来てくれと頼んだから。」 等々、ことごとく事実と異なる応答。黙って聞いていた根津教諭はおもわず「 ウッソォー!」と叫んでしまったとか。なおも生徒が「 数学のテストにも目を通しているんですか?」 ときくと、「 これ以上は、根津先生のプライバシーに関する事だから話せない。」と言ったものですから生徒たちはおさまりません。そこで、根津先生が「校長の発言で、事実と違うことがたくさんあります。私自身のことで私が話すことは問題ありませんね。」と校長に確認の後、事実を話したのでした。この時、市議会で根津を辞めさせる云々の発言が出された事や、日の丸・君が代の歴史的事実についても触れたそうです。
 

 この後、校長は再び職務命令だとして、さっき生徒に話したような事は、もう二度と話してはいけないと根津教諭に強制しました。他クラスの生徒たちだって知りたいわけで、質問してくるのですが、職務命令が出ているので話せない、としか言えません。すると、生徒たちは「校長先生を呼んできてもいい?」といい始めたのです。授業中ですから「全員が賛同するならともかくも・・・・授業します。」と言うと全員が賛同の挙手。数分で校長を連れてきてしまいました。
生徒:「なぜ根津先生の授業だけ観るの?」
校長:「他の教室も観ている。」 とウソをつく。それでも生徒は真剣にたたみかけてきます。
生徒:「チェックは根津先生だけ?」
校長:「 根津先生のプライバシーに関わるから言えない。授業はいつでも観れるんです。私は校長、根津先生は教員です。」
生徒:「本人が言っていいって言ってるのに、なぜ言えないんですか?」
校長:「職務だから。」
生徒:「 じゃ、だれに訊けばいいんですか?私たち、この学校の生徒なんだから訊く権利あるでしょ?」 「 なぜ話してくれないんですか?」
校長:「 今は家庭科の授業です。」

 処分に至った問題についても事実が明らかにされ、子どもたちの非難の声を背に校長は退室していきました。授業終了のチャイムが鳴り、「結局、校長先生は自分の地位だけ守ろうとしてるんだ。」 と言い、何人かの生徒はまた校長室へ質問に行きました。
 16日に保護者への説明が校長からされましたが、質問に立った保護者は校長への批判を口にして、根津教師を激励してくれたそうです。

 

 日米ガイドライン法、国旗国歌法の成立後、各地の教育委員会は徹底した教員管理体制の強化を進めています。校長や教頭(管理職)に反発する教員を威圧し「自粛」させるために教育委員が同席しメモをとる職員会議の場で、率直な意見が出るはずもありません。日の丸・君が代の強制に異議を唱えた国立市の教員は大量に処分されました。不適格教員の烙印を押されれば、有無を言わせず研修所送りです。何をもって、不適格教員や職務命令違反、学習指導要領の範囲逸脱を決定するのでしょうか。
 

 文部科学省は「個性豊かな人間の育成」、「考える力を育てよう」と言っています。その意に反して、日の丸・君が代を批判してはならない、学習指導要領に明記されている事について考えようと言ってはいけない、と市教委は平然と言ってのけるのです。大きな矛盾を背景に教員たちは子どもたちに何を教えていけばいいのか、それぞれが悩んでいるのが現状でしょう。考える葦であるところの人間が、自ら考える事を放棄してしまっては、何の創造も期待できません。
 

 時の為政者が民を統制するために最も重きをおくのは教育だといわれています。70年前の教育体制と今を比べると、非常に似たところが多いと高齢者から聞きます。このままいくと日本は危ないと気がついた時はもう遅かったあの頃とくらべ、今ならまだ間に合うと思うのです。一人でも多くの親がものを言うようになれば、自ら考えて行動するようになれば、子どもたちは救われる。心ある教師たちは、正しいことを正しいと、おかしい事はおかしいと言えば首が飛ぶ、という強迫観念で動けない状況にあると思います。保護者が、市民が行動する時なのです。

《そして・・・卒業式 》

 

 前述の三年生たちの卒業式のやり方を巡り、学校側と三年生が意見を異にして、式は大きく揺れました。
 

 全校会で校長が、日の丸・君が代を実施すると説明した為、強く反発した生徒(三年)たちは、「 自分たちの卒業式だから自分たちで創り上げよう」と式次第を作り、各クラスの圧倒的支持をとりつけて式に臨んだのでした。
 ところが、式が始まり「校歌斉唱」のところでなぜか「君が代」が流れ出したのです。三年生の生徒たちは「俺たちはそんなこと、望んでないぞ!」と叫んで、ほとんどの生徒が着席。続いた校歌では、みんな立ち上がって声をそろえて歌い始めました。何人かの生徒は、校長から卒業証書を受け取った後、決して頭を下げようとはしなかったということです。

 校長は、教育者として真剣に子どもに対する教師をさして、「生徒を扇動する」と言いますが、マインド・コントロールされているのは校長の方でしょう。保身のため、自分の人間性も教育者としての自負も捨て去って、ヒラメ教員になりさがり市教委の顔色ばかりうかがう。学校の主人公は子どもたちのはずです。

 

《多摩市の中学へ》
 

 根津公子さんは、2000年春、多摩市の多摩中学校へ異動になりました。家から一時間半以上もかかる勤務先です。後日、この人事の裏にある事実が発覚しました。多摩市でも彼女を待ち受けていたのは、苛酷で非情、周到な攻撃の嵐だったのです。
                                           

不適格教員の作り方(多摩中での出来事)  草の実会誌 NO.460掲載 〔'01.11〕

 今年の夏は本当に暑かったです。温暖化の影響もあるでしょう。けれど、日本だけでなく、周辺の国々をも巻き込んだ教科書問題と靖国参拝宣言によって、確実に、2,3度は上昇したのではないでしょうか。
 

 嘘八百ならべたてた教科書が各地で反対運動にあい不採択になったことは、久々の市民側勝利だと確信します。でも、「新しい教科書をつくる会」は、"リベンジ"を宣言し、今後も小、中学校の教科書を出しつづけると息巻いています。彼らのやっていることは俵義文氏曰く、政治運動です。教育に政治が介入することは、教育基本法にも抵触する大罪で、第2次世界大戦に向かう戦前の日本を彷彿とさせる状況です。検定制度の問題を含めて、正しい史実を子どもたちに伝える教科書が採択されるよう、真剣に取り組んでいく事が、今後私たちに課せられた宿題なのでしょう。

《仕組まれた異動の裏に》

 暑かったけれども、根津教諭にとって少しばかりの充電期間であった事でしょう。登校すれば、また連日のいやがらせが待っているのですから。
 元の勤務先、石川中でも授業監視はありました。けれど、比較にならない人数の多さ(6〜8人)と周到さには驚くと同時に呆れてしまいます。
 

 多摩市に異動してきたのは2000年の春でした。日頃から平和教育に取り組み、男女共生について社会現象を教材に考えさせる授業を実践してきた先生です。八教委の本音は、すぐにでも不適格教員として研修所送り(教員として『不適格な人格』の者に再教育を施す教育機関。ワイセツ教師は一日の研修で復帰できるが、日の丸・君が代に反対したり、授業で"本当の事"を教えたりして教育委員会や校長の意に沿わない行動のために送られた教師は、二度と現場復帰はできないだろうと言われている)にしたかったのでしょうが思うようにいかず、より「非人間的」な多摩市教育委員会(以下、市教委)に託したのではないかと推測されています。
 

 「教育委員会に逆らう困った先生」という噂が、根津教諭を報じる新聞記事とともに学区を流れたらしく、子どもたちから何の脈絡もなく「非国民」と呼ばれることがあったそうです。変な教師、問題のある教師が来るという偏見が、赴任した当初からあったようで、いかにもツッパリの生徒が、さっそく威嚇してきたとも聞きました。
 そんな中に飛び込んでいった根津先生ですが、真正面から語りかけ受け止める度量の広さ、子どもたちの側に立って考える真剣さは、まっすぐに子どもたちの心に沁み込んでいったことでしょう。「初めて信頼できる先生に会えた」 とは、何人かの子どもたちの正直な言葉です。

《不適格教員のつくり方 その(1)『シッポをつかめ!』》
 

 卒業を間近にした'01年2月、卒業式実行委員会の顧問だった根津教諭は委員会の席で生徒たちに、「どういう卒業式にしたいの?」と問いかけました。自分たちの卒業式なんだもの、自分たちの手で納得できる式を作り上げたと実感できるようにと「先生たちも協力するからね。」 と語りかけたのです。生徒たちは「君が代はなんとなく暗いから嫌だな。」 「楽しいものにしたい。できれば君が代はやりたくない。」などと言い、まとめに入ろうとしたので「なんとなく暗いから、という理由ではね。いろんな大人に意見をきいたり、もっと調べてから結論を出したらどう?」 と促しました。そこで生徒たちは校長先生に質問に行ったのでした。何かシッポをつかまえたくてうずうずしていた校長は、この機を逃さず、その時から事態は一気に悪化し始めました。
 

 「先生は日の丸・君が代をやらせないために私たちを利用したんでしょ?おかあさんが言ってたよ。」 「今やってる家庭科の授業は、学習指導要領に書かれていない内容だから、私、リポート提出しません。」      
 今まで授業中、自分から積極的に発言していた生徒たちの変わりように、根津教諭は心底驚きました。校長は生徒たちに日の丸・君が代の事や家庭科の授業について「根津教諭は生徒を扇動し利用しようとしている。」と話し、PTAの役員や保護者数人にも説明をしたのです。

《不適格教員のつくり方 その(2)『学習指導要領を利用しろ!』》

 根津教諭は三年生三学期の家庭科授業で、男女共生をテーマに従軍慰安婦や同性愛、男女差別の問題を取り上げました。「義務教育の終わりにあたり、過去から現在に続く女性に対するレイプや差別の事実を知った上で、男女が一緒に生きていく社会のあり方を考えよう。」というのが狙いだったのです。会社内女性差別の訴訟記事、韓国の慰安婦のビデオ、元日本軍兵士の証言ビデオ、同性愛者が中学生に向けて書いた文章などを教材として使いました。

 その授業について校長は「男女共生社会の事なんか学習指導要領のどこに書いてある!」と言ってのけ、「家庭科の指導要領から逸脱している。」と決めつけたのでした。根津教諭の授業は、悪いほうへ悪いほうへと肉付け変容させられ、伝えられました。たとえば、生徒の一人が「家のおじいちゃんは『慰安婦』にされた人をもてあそんだりしてないよね。」と質問したので根津教諭が「わからない。」と答えると、それが子どもの心を傷つけたと批判される―→「みんなのおじいちゃんはひどい事をした。」と言った、とされる―→子どもたちが「自分のおじいちゃんは悪い人なんだ。」と傷つく・・・・という具合に。

         
 三月中旬になって、例により市教委、校長、教頭による"授業参観"という名の監視が行なわれました。そして、当然の反応として、不審に思った生徒たちから校長らに対し、疑問の声が矢のように浴びせかけられます。
 「どうして教育委員会が授業を観にくるんですか?」 「 他の先生の時は、してないじゃないですか!」
 授業後も10人以上の生徒が校長室におしかけて抗議が続きます。
 「 自分の思う事が言えないのはおかしい。戦前の治安維持法みたい。」 「根津先生を辞めさせるなら、俺は絶対に学校に来ないからな!」

 生徒たちの怒りはおさまらず、指導主事や校長に真正面から立ち向かい、一歩も譲らず。とうとう指導主事は、「保護者から苦情の電話があったから観に来た。」 と答えましたが、生徒たちは納得しませんでした。
 こんな醜態があったにもかかわらず、職員会議の場で校長は、「 子どもたちが不安定になったのは、根津教諭が扇動したからだ!」と凄んだとか。ずいぶん強気な発言。一方、学区の自民、公明両党の議員が議会で、「不適切な教材を使う教師がいる。」 「生徒を洗脳する。」と発言していますし、多摩市教育長の石川武氏が、「何とか辞めさせたいのだが、いい材料がなくてね。」 と話しているのを、生活者ネットの議員がハッキリ聞いています。校長の行動は、こうした地域の動きと無関係ではありますまい。

《不適格教員のつくり方 その(3)『 保護者でも生徒でも何でも利用しろ!』》
 

 保護者からの苦情というのはよくある話です。私も子どもたちの事で、何度も学校側と話し合った経験があります。そういった時、まずは保護者の話をよく聞き、先生や生徒も交えて問題解決にあたります。よっぽどの事がないかぎり、教育委員会が出てくる事はありません。先生が未熟だったり誤解があったり、ボタンのかけちがい状態だったり、だいたいはじっくり話し合うことで事は足りるのです。
 

 今回、指導主事が口にした「保護者からの苦情」 は、家庭科の授業内容についてのものでした。当然、根津教諭は保護者との話し合いを希望したのですが、「その必要はない」と拒まれつづけました。そして4月、突然の事情聴取通知が出されたのです。
 

 本来、事情聴取とは、学校長から報告書が出された後、処分を前提に行うものです。今回のケースは、保護者の名前も明かさず、実際にどんな電話だったのか具体的な内容も教えられず、正式な報告書も無いままいきなり、という事で、面食らってしまいました。はい、わかりましたとノコノコ出ていくわけにはいきません。市民からの苦情もきているというので、見せてくれ、名前は伏せていいからと要求するも拒絶。確たる証拠もないまま事情聴取するというのですからメチャクチャな話です。事情聴取を受ける用意はあるから、きちんと条件整備をしてくれと言っているのですが、教育委員会は「根津は事情聴取を拒否した」と発言する始末。犯罪者としての確証がないまま、密室で事情聴取という取調べが行われ、罪人を作り上げる、これを"冤罪"という!!
 

 6月の半ば、根津教諭の所属する多摩教祖が、地域に事実を知らせるビラを配布しました。すると二日後、保護者からの抗議の手紙が校長宛に届いたとのことで、さっそく22日(金)の夜に緊急保護者会が開かれました。抗議の内容は、
  @ 子どもたちの心を傷つけるな。
  A 多摩中の批判をするようなビラをまくな。
  B 従軍慰安婦の授業をやるな。
  C 外部の人間を校内にいれるな。(地域の人たちが事情の説明を求めて、校長を訪ねた事をさして)
等々の主旨で、なぜこのような事態になったのかという視点が欠けています。特に、@については、次のような状況がありました。
 

 3月15日に市教委が根津教諭の授業を観に来た時に、当時2年生の子どもたちが「なぜ、教育委員会が来たのか」を校長に聞きにいったのですが、その事で根津教諭は校長から「辞めさせられると生徒に言ったのか!」 と詰問されました。子どもへの影響を考慮し、信用できない校長には本当の事は話さないほうがいいと判断して否定したのですが、この事が「 子どもに嘘をついた。子どもを利用した」 と悪用され宣伝されることとなりました。しかし、多感な子どもたちに対して校長は、「 根津は君たちに何を話したのか?」と尋問し、"証拠固め"をしているのです。どちらが傷つけているのでしょうか。
 
 PTAを取り込んだ「根津糾弾保護者会」で、根津教諭は言葉を尽くして説明するのですが、校長らの虚偽におどらされた人々に届く言葉はない事を実感させられたと話してくれました。他にも根津教諭を同席させない「欠席裁判的保護者会」なども開かれ、勝手ないいがかりの職務命令頻発。もちろん根津教諭にだけの特別ないやがらせ(日付を特定した授業指導案の提出要求)、命令違反を作り出すためのような職務命令、加えて連日の授業監視・・・・・記していけばきりがありませんが、組織的に一人の人間を精神的に追い込んで生け贄にし、市教委にたてつく者たちへの見せしめとしていく過程が明らかに示されています。

《都研送り間近か・・・》

 9月20日、学年会(同学年担当教員の会議)が開かれているところに、校長、教頭が入ってきました。通告を読み上げるためでした。その内容は、
 

 「これまで授業観察を行い、その結果を踏まえて九月六日と十三日に授業改善を指示しました。また都教委の指導主事の指示を受けるように指示しましたが、あなたはこれを拒否しました。本日の授業で改善がみられませんでした。そのため私は、あなたを指導力不足として申請することにします。以上通告します。」
  

 これはもちろん都研送りとするための、校長らがやっとたどり着いた大事なステップです。今後どのように事がなされていくのか、目が話せないところです。
 尚、当の根津教諭はこれほどの攻撃にさらされながらも元気です。何も後ろめたいところのない彼女は、どんなに非道な扱いを受け続けても、むしろそれを糧としてより強くなっているように思えます。
 

 ★教育委員会との闘い★     草の実会誌 NO.464掲載 〔'02.7〕 
 

 日常に追われ、ふと我を省みれば、何ひとつ課題が片付かずまま、もはや4月も終わろうとしています。相も変わらず世情は不穏な空気で満たされ、呆れた首相が思いつきで靖国参拝などしてくれて、中国の江主席に『もう、許さぬ!』とお叱りをうける心底恥ずかしいこのごろ、徳島・新潟の参議院補選勝利は一筋の光でした。
 

 さて今回は、9月20日多摩中校長に「指導力不足教員として申請する」と通告された、根津公子教諭のその後について報告いたします。

 多摩市教育委員会(以下、市教委)はいつになく仕事がはやく、申請書を受理した翌日27日には東京都教育委員会(以下、都教委)に書類をあげています。その後不思議と授業参観は行われなくなりました。保護者からの要請に基づき始まった授業参観なのに、「不適格教員」とした段階で勝手にやめてしまっていいのでしょうか。その後も根津公子教諭の授業は続いているのに。
この事からも、保護者は校長に利用されたのだという事が明白になりました。「積極的に根津公子教諭を現場からはずす」とまで思わなくても、傍観していた保護者の大半はそれだけで根津排除の策謀に利用された事になるのです。これは、多摩中だけの現象ではないような気がします。

《都教委の事情聴取》

 

 舞台は都教委に移り、全部で4回の「意見を聴取する場」が設定されました。これまでは一度も弁解や意見を聴取される事なく研修センターへ送られたそうですから、これは初めてのケースとなります。

 1回目は10月2日に開かれました。朝、突然校長から通告され、「代理人の同伴を認めるよう、都教委に別の日の設定を打診して欲しい」と要求したが拒否。しかたなく組合の人に同伴してもらって行ったら、都教委から「法定代理人じゃなきゃダメ」と言われ、朝の校長とのやり取りを暴露。都教委は苦りきって「弁護士同伴で再度開く」と回答せざるを得ませんでした。
 
 2回目は、10月4日。代理人の萱野弁護士に同伴を願って、いざ敵陣へ! 「授業の進め方が悪い、保護者や生徒から苦情があったから弁明せよ」と曖昧な言い方。「具体的な事柄を告知されて初めて弁明できるのであって、漠然とした内容では弁明のしようもない。たとえば、泥棒を裁く時、何時何処で何を誰からどのようにして盗ったか、が具体的になっていなければ裁判にならないのと同じだ。この人は泥棒をしたから処罰して下さい、だけでは裁きようがないでしょ。」と攻める萱野弁護士。都教委「・・・・・・・」しばしの沈黙。やっと口を開いたと思ったら「理由をここで全部あげろと言われても収拾がつきませんよ」と、いい加減な返事が返って来たので萱野弁護士グイと乗り出し、「後からいろいろ処分の理由をあげられても弁解のしようがない。特定の理由が出されないのでは告知と弁明の機会を与える意味が全く無い。保護者からの苦情が多い教師はいっぱい居ますよ。何処の誰がどんな内容の苦情を言ってきたのか特定されれば、ひとつひとつ弁明します。」すると「弁明が無かったことにしますよ」と脅しにかかる都教委。しかし理は我が方にあり。「そっちがこれで打ち切って決定が不利益ならば、こっちは地裁、高裁で徹底的に争いますからね。」と凄みをきかせ、「今日は理由の提示は出来ませんので、次回を設定します。」と都教委に言わせたのでした。
 
 そして3回目、10月22日。前回の記録を録っていなかったことを問い質したところ、今回はテープレコーダーが用意されたが書面の議事録は拒否されました。「こちらが要求しなければ記録を残そうともしない、形だけの弁明の機会である。」 と追及したら、「前回も記録しました。」と大ウソを言ってのけました。権力は、目の前の物理的な事象にまで平然とウソをつくのですヨ。
根津公子教諭はこの日、前回の聴取内容を参考に完璧な弁明書を用意してきたのですが、なんと(!)聴取の内容が変わっていたのでした。
  

  @ 年間指導計画、学習指導案の提出を拒んだのはなぜか。
  A 授業で指導した内容「農産物と農薬」と家庭科の学習指導要領との関係を述べよ。
  B 生徒が授業をボイコットしたことについてどう思うか。

というもので、弁明を求める内容に一貫性が無いのは未だ設定の理由を探しているということなのか、と根津公子教諭は思いながら、用意していった前回の弁明について具体的に述べました。
 
4回目、最後の聴取は11月2日でした。@〜Bについて述べたのですが、Aについては授業観察に来ていた森指導主事がいたので、次のように訊ねてみました。「授業をご覧になって学習指導要領に沿っていないと思ったところがあるのでしょう? それを指摘してください。」すると森氏は「特に内容的にはそう思わなかった。」と言う答えでした。

《支援者たちの闘い》

 その後、すぐにでも判定会議を開いて結論を出すような口ぶりだったにもかかわらず、次の動きがでてきたのは年があけて2月に入ってからでした。この間、「石川中裁判を支える会」や「考え判断する子どもたちを育てる学校を!市民の会」などの人々の手に依って、連日のように市教委、都教委、多摩中に抗議や要請文が届けられました。また、駅頭、市役所前でのビラ撒きやリレートークなどで市民への訴えかけがなされたり、根津公子教諭のいくところ市民の応援ありで、地道な活動が大きな力になっていったことは特筆すべきことです。その中には都教委に宛てた「学者、文化人アピール」というものもあって、草の実会も名を連ねています。1月12日には「根津さん処分を止めよう」緊急集会が開催され、二百人を優に超える参加者があって、大きなうねりとなりました。署名運動もスタートし、この闘いは全国的に注目されるものとなっていったのでした。

《市教委と校長の悪だくみ》
 

 さて、なにを企んだのか、2月5日校長は都教委の判定を待たずに「服務違反で文章報告する」と通告してきました。内容は、7月・9月の授業観察に関わり、
@授業指導案の提出を拒否した事、A協議会へ出席しなかった事、の2点だと言い、翌6日には「8日の9時〜10時まで事情聴取、9時半までに入室しない場合は拒否とみなす」の文書を渡されたのです。その後、8日、12日、18日と市教委による3回の事情聴取が開かれました。といっても18日には事前に許可された組合の仕事があったのに、無理やり日程をセットされ、その旨質問したら原田室長から「拒否したから聴取打ち切り、報告書をあげます。」との文章を読み上げられる始末。始めからシナリオができていたようです。

 21日は都教委の事情聴取です。15日に渡された出張命令には「代理人の同伴は認めない」とあったので、変更を求めるも応じず。萱野弁護士が早めに行って理由を質すと何も答えず「事情聴取を拒否した」と通告して立ち去ったとか。 

 3月25日、多摩中に来た市教委室長と校長の二人から、「指導力不足等教員の認定はしない」旨の通知をきかされました。そして27日、異常な厳戒体制の中、処分書を受け取りに都庁へ。
11時30分までに28階に来いという職務命令に従い、エレベーターを降りるとそこには人間バリケード。指定の人事部長室に入れません。「 根津ですけど、入れないんですか?」 と訊くと「 どうぞ、どうぞ」 と幅50センチ位の道をつくるのです。根津公子教諭を犯罪者扱いで、なんと言っても警備をやめようとしません。支援の人たちも問い質したのですが、無視!泣いて訴える中学生がいたのですが、この子も無視されました。よくぞ、こんな冷酷なことができる、あなた方には心はないのか、と思わずにはいられなかったそうです。

 最近、根津さんが出向く際に『厳重警戒態勢』 が見られるようになりました。何を怖がっているのでしょうか。支援者の中にテロリストがいるとでも?

 しかたなく中へ入るとお役人の面々と校長が棒立ちでお出迎え。座った根津教諭に「 立ちなさい。」だの「 辞令を部長の手から受け取れ。」 だの、やたら命令してくるけれど、聞く耳持たず。時計は12時を過ぎていました。「まっすぐ学校へ戻りなさい。途中で食事を取ることは許さない。」と校長。たしか、職員の健康管理は校長の職務のはず。仕方なく学校に戻って遅い昼食を取りました。

《現場はずし失敗の腹いせ》

 「男女共生、従軍慰安婦の授業に対する保護者の苦情に始まった本件が、最後には職務命令違反の問題になってしまった。まるで別件逮捕みたい。」と根津公子教諭は苦笑します。減給三ヶ月分に加えて、処分理由には『以前三回処分を受けているのに反省の色も無く、また服務違反をした事』があげられています。二重処分という事です。服役して罪を償い出所した者が、他の罪を犯したからといって前の懲役分を加算される事があるでしょうか。例は悪いですがそういう事です。まるで、指導力不足等教員で研修所送りに出来なかった腹いせのような、権力の乱用です。
 根津公子教諭は今後、この処分撤回の闘いをする中で不当性を明らかにし、教育を問う作業を進めていきたいと話しています。(追記:5月10日、都人事委員会へ不服申し立てを行いました。)

 

★通勤2時間:調布中★     草の実会誌 NO.473掲載 〔'04.1〕 
 

《教え子からのエール》

 「先生、お久しぶりです。私は石川中で3年間お世話になったYです。今、大学2年ですが、大学の先生の講義で偶然にも根津先生の話が出て、ビックリしました。先生がどんなに苦しい状況だったか、知らなかった自分に腹が立ちますが、それでも変わらない、自分を偽らない、そんな先生はすごいと思うし、そんな根津先生が私は好きです。
 中学校の3年間、先生にお会いする事が出来て、本当に幸運でした、先生の授業内容は、未だに心の中心にあって、考え方の基本になっています。何年経っても決して消える事はないです。そんな授業を受けられる生徒は日本に何人いることでしょう。
 先生の授業を受けて、無知の怖さを知りました。知らなければならないことはたくさんあります。真実もその1つです。隠したり偽ったりするほうがおかしいです。それくらい、子どもにだってわかります。だから、自信を持ってくださいね。辛いと思いますけど頑張ってくださいね。そして、できることなら変わらないでください。先生の事、応援してる人はたくさんいますから!きっと、先生が思っているよりたくさん。そしてみんな、先生のことが好きなんです。
 私は、本当に何もできなくて非力でなさけないです。でも、信じてます。先生のやり方が多くの人に認められて、受け入れてもらえると。」

 

 「僕は5,6年前に石川中で根津先生の家庭科の授業を受けた生徒の1人です。
先生のことはとても印象に残っています。男女別だった出席簿を混合にしたのも先生でした。先生は決して生徒を扇動してはいません。
 昔、日本人はこういう事を行なっていたという事実、歴史、そしてこれから先は、人間こうあるべきだという道徳的なことを教えていらっしゃるのです。先生の授業は新鮮、強烈でした。先生が教えてくれなければ、誰があのように真剣に教えてくれるでしょうか。先生の行なう授業は必ず子どもたちに支持されるはずです。どうぞ、自信をお持ちになってください。
 卒業式の日、日の丸を揚げた校長への無言の抵抗として、校長への批判を書いたスカーフを巻いて、廊下をスタスタ歩き回っていた根津先生は、当時15歳だった僕にはとてもかっこよく見えました。
 先生の授業は、現代の戦争を知らない子どもたちにとって必要不可欠な内容です。何かと周りの雑音にも苦労されると思いますが、ご健闘を心から応援しております。」

《素地は横川中で作られた?》

 時は1980年、八王子市での教師生活は横川中学校から教師生活をスタートしました。
始業式後の職員会議で、「入学式の 日の丸・君が代、誰の許可を得てやるの?」 と、いきなりの爆弾発言! 他の教師たちはハトが豆鉄砲を喰らったような顔。その中で、ベテラン教師1人だけ、彼女の意見に賛成してくれたのです。
 

 その人の名は、田中けんすけさん。広島への修学旅行を横川中でやり始めた人で、ここから八王子市中に広がっていきました。結局、入学式には日の丸が揚がってしまいましたが、根津教諭はこのベテラン教師との仕事を通して、いろんな事を教わりました。
 

 横川中は新しい学校だったので、開校記念式典開催が迫っており、その準備が始まりました。打ち合わせにはPTAの方々も集まります。その時、根津先生は校長に対して、「 日の丸を揚げるのはどうしても納得がいきません。」 と抗議したのです。そして、感極まって涙を流してしまいました。しばし涙を拭いてから、「 よ〜く考えてください。」 と言ってその場を辞したのです。が、その様子はPTAの役員さんにしっかり見られておりました。そして当日、日の丸は揚がらなかったのです!(どうしてかな?)
 

 さて、その年度末の卒業式。日の丸・君が代の件を話し始めた教頭に「 ヤメロ、ヤメロ!」と言ったのは、なんと校長先生。以後、根津教諭が在勤した10年間、横川中で日の丸が揚がることはなかったそうです。しかし、異動後二週間経って行われた入学式には、しっかりと揚がっていたそうな。

《ただでは起きぬ、根津裁判》

 草の実誌NO.458、459,460、464に掲載された根津教諭の闘いは、横川中から異動となって赴任した石川中と、その後の赴任先多摩中で起きた事件でした。
石川中では、信念に基づいて「日の丸・君が代」という踏み絵を拒否して2度の処分を受け、その上に授業で使ったプリントの内容に問題があるということで、訓告処分を受け、裁判を起こしました。2001年4月に始まり、2003年10月の時点で第11回公判となっています。毎回傍聴席がほとんど埋まるくらいの支援者が集まり、支援の輪がドンドン広がっています。

 多摩中では、「 根津を辞めさせる為」 の様々な画策がなされ、多摩市教委は指導力不足(等教員)にでっち上げようとしたものの思うように行かず、腹いせと見せしめとしか思えないような懲戒(減給)処分を出してきました。そこで、2002年5月、都人事委員会に不服申し立てを行い、2003年11月の時点で第5回口頭審理が済んだところです。この傍聴にも大勢の支援者が万難を排して駆けつけ、いつも傍聴席は抽選となってしまうのですが、入れ替わることができるので、なるべく皆さんが傍聴できるよう支援者は自主的に交代を実践しています。

 両方の傍聴をしていて思うことは、まず第一に、支援者が増える事はあっても減る事はないということ。そして、毎回必ず、初めて傍聴に来たと思われる若い人がいることです。支える会の会報には、「 傍聴には行けないけれど、根津さんの闘いを励みとしている。応援しているから頑張って!」 との激励文が北は北海道、南は沖縄から届き掲載されています。
 

 第二は、被告側の情けなさです。とにかく"根津はずし"を目的とした画策なので、論理的に無理があり、あちらこちらからほころびが見つかってオタオタすることが多く、非常にみっともない状態です。特に石川中裁判では、被告側の弁護士のやる気のなさが明白で、まじめにやっているのかと疑いたくなるような始末。それにひきかえ根津側は、なんにも隠し立てすることがなく、真実を追究するだけですから、堂々としているように見えます。
 

 そして最後に思うことは、日本の司法の危うさです。これほど権力的だとは考えていませんでした。国会は数の力で無理が通り、行政は私腹肥やしで腐っていても、司法だけは憲法に則って機能していると信じている部分がありました。けれど、「 裁判官よ、お前もか・・・!」 の心境です。

《今度はどんないじめが待っている?》

 2003.4月からの勤務先は調布中学校です。この学校は石川中とは違い、少々荒れている様子です。そのような学校に異動させた理由は、「根津さんの力で穏やかな学校に戻したいから」、ではありません。
 多摩中で家庭科教員が過員(一教科あたりの人数が多すぎる状態)になるから異動対象になった、との理由で赴任した先には既に家庭科教員が居た!しかも、通勤に2時間近くかかるのです。これはもう、はっきりとした東京都教育委員会のいじめです。なぜなら、異動要綱には『通勤時間は最高で90分』 と規定されているからです。当然、苦情申し立てをしましたが、無視されています。彼女は毎朝早起きをして、気丈にもこの"長期日帰り出張"をこなし続けました。この規定違反は、今年9月に出された「 定期異動実施要綱」 の中で、「 120分まで通勤可能」 としたことにより解決したと居直るつもりでは、と支援者は危惧しています。
 

 「石川中の子どもたちは、『先生たちはまず第一に子どもたちのことを考えてくれる』 、と信用してくれていた。『自分で決めていいんだよ。先生たちはお手伝いだから。』と言い続けていたから、とても自主的に動いてくれた。教員たちがきちんと生徒と向き合ってお互いに協力しながら民主的に事をはこんだ、特別な学校だったのかもしれない。」といっていた根津教諭。多摩中に行って驚いた、「子どもたちが、大人(教員)を信用していない顔をしている」。そして、調布中でも同様でした。

 《さて、調布中では・・・?》

 まず、教員たちは徹底的に管理されています。月に1回の地区別保護者交流会は夜に設定されていて、ボランティア(だった様子)。だれも何にも言わずに、こういう状態があたりまえだったらしいのです。入学式の国歌についても、校長からなんの提案もなく、また論議もなかったとのこと。まったく、みごとな職員会議の形骸化です。
 

 日本の多くの学校がそうであるように、教師の中には、「力が支配する」と思い込んでいる人もいて、なにか問題が起こると、「やっぱり男が出て行かなくちゃダメだ。」ということもあったとか。直接暴力を振るうことはなくても、言葉の暴力もれっきとした暴力。使ってはいけないと生徒を一時的に押さえても、暴力は暴力しか生まない、と根津さんは言います。

 生徒たちに服装の乱れはなく髪も染めていません。乱れていれば家に帰されるし、染めたのを見つかれば黒く染め直させるか、洗髪させるからでしょうか。朝会は服装の乱れを正すように、との言葉で始まります。いちいち細かい注意をされると自分の頭で考えることができなくなり、何が悪いのかわからなくなってくるのではと、心配になります。 職員会議では、上記のような『指導』を教師全員に強制してきましたので、根津教諭は「細かい服装のきまりが何故必要なのか、どうしてみんな同じでなければならないのか、私にはわからないし生徒に説明することもできません。だから指導もできないので、私はやりません。」と言って、了承してもらいました。 一年の職員会議で討議してほしいとお願いしているのですが、なかなか実現していません。

《根津エンジン始動!》

 

 根津さんは石川中を出て以来、担任も重要な仕事も一切与えられていません。調布中に来てから子どもたちの前でまともに話をしたのは学年集会での自己紹介のとき1回だけ。でも、そんな貴重な時間の中で、根津先生はこんな話をしたのです。
「物事はいろんな角度から見たり、考えたりすることが大事。正面から見たり聞いたり、人から言われたりすることを、そのまま受け取らずに疑ってみることをしてほしい。」
 
 根津さんは「子どもに寄り沿わない教師が多い学校にいると、子どもたちはますます居心地が悪くなる、学校に来ることによって大人の汚い部分を見せられ、悪いことだけが心の中に残る。」と嘆くこともありますが、どんな状況下でも「子どもたちは本当に可愛くて接していると楽しい。」と言います。そして、授業に真剣に取り組み、新鮮な空気を送り込む努力を惜しまない先生を見つめる子どもたちの目は確かです。

《2004年・春》

 2003年10月23日、東京都教育委員会は「入学式、卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」という通達を出しました。これによると、
  ・ 国旗は舞台壇上正面に掲揚し、屋外の国旗はみんなが見える場所に掲揚すること。
  ・ 国歌は(教職員は)指定された席で国旗に向かって起立し、斉唱すること。
  ・ ピアノ伴奏する。
  ・会場設営は舞台壇上に演台を置き、証書を授与する。
 などという事が、細かく定められています。

 かなり、強引であからさまな強制をしてきました。
先生方の動揺は大きいと察せられますが、周囲を見てみると行動パターンが2種類に分けられます。腹を決めるか、諦めるかのどちらかです。最近の新聞の投書の中に、現役の教師が"記名"でこの通達を批判している文章をよく目にします。たいへんなリスクを背負いながらの行動でしょうが、非常に励まされます。
 

 今回主に狙い撃ちされたのは都立高校でした。教師はもちろんのこと、保護者たちも手をつないで子どもたちの人権を守るために立ち上がりました。また、あらゆる知識人と言われる人々も、それぞれの立場、責任において抗議の声をあげ、東京都のあきらかな憲法違反、教育基本法冒涜の行為を批判しています。

 この春、調布中の卒業式を前にして根津教諭は、支援の会が発行する機関紙「ほうせんか」誌上で、苦悩する同じ思いの教師仲間に次のような訴えかけをしました。

 『卒業式は教育活動です。その教育活動において教育行政は、民主主義を否定し命令への服従を力を持って強い、教育を破壊するのですから、教員である私は看過するわけにはいきません。彼らの命令に従ってしまっては、教員は子どもたちに、命令に対しては考えずに服従するものだということを教える事になってしまいます。理不尽なことには物申すこと、闘っていくことが、教員としての職責=抗命義務だと思うのです。ここで逃げては、自分が恥ずかしく、教師面をして子どもたちの前に立てなくなってしまいます。立たずに処分される率が高まることは都教委の暴力と失策を社会に露呈することになります。一緒に不起立・不服従をしましょう!そして、処分を受けたらみんなで声をあげましょう!!ピンチをチャンスに変えましょう!この声は子どもたちにも届くでしょう。踏み絵を踏むことと、教員としての職責を果たして、戒告処分を受ける事と、どちらの自分が好きで居られるか、です。』

 

 卒業式当日、彼女はたったの40秒間着席したことで、自らに課した抗命義務を果たしました。そして、3月19日の朝日新聞夕刊に、その思いが記事となって載ったのです。その内容は、『今まで生徒たちには、自分の頭で考え行動しようと話してきました。今回のような一方的押し付けの強制は、教育上間違っています。自分でおかしいと思うことをやってしまったら、教師として子どもたちの前に立てなくなる。』というものでした。

 翌週の月曜日の職員打ち合わせ会で校長は、早速次のような発言を始めました。

「朝日新聞の報道に関して、2件の抗議電話があった。一つは保護者を名乗り『このような教員が調布中に居るのか!』、もう一件は一般の男性で『間違いと思うものについては従わなくていいと言ったのか!』というもの。」

 この後、校長室に呼ばれ“尋問”開始。翌日は、市教委の室長と副室長がわざわざ事情聴取に乗り込んできました。普通は呼びつけられて行なうのに、学校に二人でやってきたのです。『都教委に不起立の件をあげる』と言うだけのために・・・・。朝日新聞の件は触れられなかったようです。

 2、3日後、調布中の卒業生の保護者から電話があり、朝日の記事を読んでの感想を寄せてくれました。根津さんの伝えたかったこと、でもできずにきたことを、その保護者は充分理解してくれたのです。それだけでなく、他の保護者もかなり多くの人が、同じように理解していることも伝えてくれたとの事。みんな、処分のことを心配しているのでした。

 学校でも生徒たちが新聞を学校に持ってきていて、友人たちと読んだという。『入学式どうするの?』と訊いていた生徒もいたそうで、『もう、5度目の処分になるからもしかして座れないかも知れない。そのときは皆にゴメンねを言うから許してね。』と話したら、『それ、新聞に書いてもらうのがいいよ、みんなわかるから』と言ってくれたとか。

 意志、筋を貫くと処分を受けても比べ物にならない(すべきではない)感動を味わうことができる。4時間の通勤時間を耐えてでも、このまま調布中で勤務したい、と話してくれました。

 《これからが正念場》

 誠実な教師の中には、頭が変になりそうなくらい悩んで考えて、「処分されたら仕事ができなくなる」 ことを恐れ、口を閉ざして貝になる道を選ぶ人もいます。教職はわたしの天職だから・・・と言いつつも、まだ悩み続けている教師を知っています。その人に何を言ってあげられるのか考えあぐねていた私に、田中哲朗さん(沖電気を不当解雇され、22年間闘い、歌い続けている)は言いました。「自分が正しいと思う行動を取ったとして、最悪の状況を想像してごらん。処分が出たり、異動させられたりするかもしれないけど、今の日本では拷問されたり殺されたりすることはまずないでしょう。言論の自由はまだ充分あるのだから、今言わなくてどうするの。」

 この言葉はわたしの心の中にストンと落ちました。 自分で決断するしかないのだけれど、声をあげてくれることを願っています。そして、分断孤立化させられた教師たちと手を取り合って対抗していかなければならないのは、わたしたち保護者なのです。子どもたちが日中のほとんどの時間を過ごす学校の実態に、もっと関心をもたなければなりません。なぜ、いじめが起こるのか、なぜ私服じゃダメなのか、なぜ君が代を強制的に歌わなければならないのか・・・・。だれかに教えてもらうのではなく、自分の頭で考える。子どもと意見交換をしてみる。おかしいとおもったら学校に問いかけてみる。これは保護者の最低限の義務だと思います。
そうすれば、真面目に悩んでいる学校の先生たちは、喜んで一緒に問題解決しようと動きだすことができるのではないでしょうか。教師だけではもう、どうにもならないところまで来ているのです。    

 今後も現場での闘いは続きます。たくさんの支援者に支えられている根津教諭ですが、彼女の生き様に励まされ背中をポンと叩かれている支援者もいることと思います。

《誇り高く生きる》
 

 冒頭、教え子たちの応援メールを転載しました。根津教諭の教師人生は、「♪♪誇り高く生きることを子どもたちに伝えよう、誇り高く生きること 子どもたちと語ろう♪♪」 という田中哲朗さんの歌詞そのままだったといいます。「どんなに不当ですさまじい攻撃があろうとも、今までそうしてきたようにこれからも、理不尽なことに対しては当然物申していくつもり。」 と淡々と語る彼女は、いつも自然体。そんな根津さんを支えているのは、子どもたちからの絶大なる信頼なのだと思います。
 

 元教師の仲間から「わたしは根津さんほど強くないから、こんな扱いを受けるくらいなら教職を辞めたほうがいい、と考えて辞めてしまった。」という声を聞くことがありました。その時根津さんは、「わたしは決して強いわけじゃないの。自分が間違っていることなら御免なさいするけど、正しいと思うのに理不尽な立場に立たされて辞めてしまうと、その後の人生で自分が許せなくなって生きていけなくなると思う。辞める事は私にとって死ぬことと同じなんだ。だから、闘う。」といいました。そして、「 私を支えてくれている多くの方々には心から感謝しています。でも、やはり一番の支えは、教え子からの応援メッセージだなぁ。私のやってきたことは間違ってなかったんだなって思うことができる。本当にうれしい!」と言って、ニッコリ笑いました。